理想を求めて紆余曲折した私が、小海町で心地よい暮らしを手にするまで(決断編)
「田舎でびっくりしたということもないし、大自然にものすごく感動したということもない。ああ、住むのにちょうどいい場所だな」と思った。
これは私が初めて小海町に来たときに抱いた感想だ。

2024年3月、私は小海線・小海駅のホームに降り立った。地域おこし協力隊の面接を受けるためだ。駅には大きな時計台があって、役場までの道中には直売所があった。直売所でおいしい野菜を買うのが好きな私は「ここで暮らしていけそうだ」と思った。
この記事は紆余曲折して生きてきた筆者が小海町で心地よい暮らしを叶えるまでを語る連載です。小海町に出会うまでの物語は、前回の記事でご覧ください。
理想を求めて紆余曲折した私が、小海町で心地よい暮らしを手にするまで(移住前)
きっかけは1つの記事
初めて小海町に訪れた日から遡ること約1ヶ月前、私は地域おこし協力隊の求人を見つけた。地域おこし協力隊のミッションは自治体によってさまざまだが、このとき小海町で募集していたのは、都会の企業向けのセラピープログラムの事務局だった。
日々忙しく働く方々に小海町に滞在してもらい、焚火やヨガ、森を歩く体験を通じてリフレッシュしてもらうのだ。

小海町では、まちづくりの一環としてセラピープログラムを実施しており、セラピストは町民が担っている。事務局は、セラピストと企業の担当者をつなぐ仲介役だ。
私はこの求人を見たとき強く「この事業に関わりたい」と思った。なぜならこれまで生きてきた中でなんとなく「自然は人間の心と身体にいい影響を与えてくれる」と感じていたからだ。
大学生のとき悩みが多かった私は、いろんなところに足を運んだ。尾瀬でトレッキングしたり、沖縄の自然の中でマングローブカヌーをしたり⋯⋯。
そうして自然の中に行くとなんとなく気分がスッキリしたり、後悔していたことに対して「あぁ、これで良かったんだなあ」と納得感が生まれたりした。

社会人になってからは登山にハマり、山に行くと自分の心と身体がどんどん元気になっていくのがわかった。すでに自然のパワーを体感していたからこそ、求人を見たときに「これこそ私がやりたいことだ!」と思ったのだ。
最初は「小海町」という地名すら知らなかった
実は「小海町」という地名は求人記事を見るまで聞いたことすらなかった。だから記事を読んだとき、小海町について全くイメージが湧かなかった。でも山が好きな私は「いつかは長野県か山梨県に住みたい」と考えていたので、今回の募集が長野県であったことは好都合だった。私の出身地である千葉県も近い。
現地での面接の前に現役の地域おこし協力隊の方とオンラインでお話できたのも良かった。小海町での暮らしや仕事のことなどを、移住者ならではの視点でざっくばらんにお話してくれて、小海町での暮らしをイメージできた。

その後オンラインによる役場の担当者との面接を経て、最終面接のために初めて小海町を訪れた。そのときに抱いたのが冒頭で書いた感想だ。
当日は面接のほかにセラピープログラムの拠点となる松原湖を案内してもらったり、駅近の商業施設で開催されていたマルシェに連れて行ってもらったりした。マルシェに出店している方や訪れたお客さんとお話しながら「いい町だなあ」と思った。
移住を決めたのは違和感がなかったから
現地での面接があったのは3月の終わり頃だったのに、4月1日には小海町の地域おこし協力隊に着任した。今思えば、ものすごいスピードで移住を決めてしまった。もしあのとき求人を見ていなければ、私は今も東京の狭いシェアハウスに住んでいたかもしれない。人生はちょっとしたきっかけで大きく変わってしまうからおもしろい。
住む場所と仕事を変えるというのは人生の中で大きなことなので二の足を踏みそうだが、私の中でまったく迷いはなかった。東京生活は満喫してもう思い残すことはなかったし、仕事や小海町での暮らしを想像したときに違和感がなかったからだ。
憧れよりも、暮らしやすさを優先した
東京から高知県へ移住したときと同じように、私はまた新たな土地へどーんと飛び込んだ。でも以前とは少し違った。それは「地方に移住するならこう暮らしたい」という憧れよりも、暮らしやすさを優先したことだ。
たとえば住む家。役場の人から「一軒家とアパート、どっちがいい?」と聞かれたとき、私はアパートを選んだ。かつては移住して一軒家に住んで、庭の木に実った果樹を食べることが憧れだった。でも以前その家に住んでいた協力隊の先輩から「シャンプーが凍るほど寒い」。役場の人からは「一軒家は光熱費が結構かかる」と教えてもらった。
憧れだけで決めるなら、きっと一軒家を選んだ。でも私は高知県の山奥で生活をしていた経験を経て、暮らしやすさがいかに大事なのかを学んだのだ。高知県の廃校に住んでいたとき、建物が断熱性に乏しく、冬の寒さが本当につらかった。だから高知県よりずっと寒い長野県では、なるべく暖かい環境で過ごしたかったのだ。

また人間関係も濃すぎない方がいいと感じていた。一軒家ではご近所さんとの距離が近いし、集落の行事もある。それは素敵なことだし、そうやってみんなで地域を守っていることもわかっている。
でも登山にかなりハマっていた私は、休みの日は何よりも登山を優先させたかったのだ。実際に住み始めてからも登山ばかりしていて、全然模範的な移住者ではなかった。“模範的な移住者”はきっと、休みの日も地域行事に参加するし、“何か大きなこと”をやるのだ。
でも模範的な移住者になろうとしていたら、疲れてしまってもう小海町にいなかったと思う。1つの場所に腰を据えて住むには、他人や出来事から一定の距離をとり、心地よさを大切にすることも必要なのだ。
もっと模範的な移住者になった方がいいのではないか」と思ったこともあった。でも無理せず自分に合わせた暮らしをしてきたからこそ、今もこうして小海町に住んでいられるのだ。移住を決めるときはぜひ、誰と関わり、どんな家でどんな暮らしを送るのかを具体的に考えてみてほしい。
次回は私が小海町で、どんな暮らしをしているのかを紹介する。