八千穂駅の居心地の良さ、その理由を訪ねて ― 人の息づかいが残る駅 ―

八千穂駅に降り立つと、不思議と気持ちが和らぐ。
ホームの向こうには立派な桜の木々が並び、その先には森が広がる。待合室に入ると、中央にはぽつんと置かれたストーブ。
駅前の花壇は丁寧に手入れされ、白樺の木で出来た木工品や、「WELCOME」と刻まれたサインが出迎えてくれる。
小海線には無人駅も多い。それなのに八千穂駅には、どこか人の息づかいを感じる。この居心地の良さは、一体どこから生まれているのだろう……?
気になった私は、八千穂駅を陰で支える人たちに会いに行くことにした。

駅に“居る”人 ー 八塚いくさん ー

まず会いに伺ったのは、簡易委託者(※)として33年にわたり八千穂駅を支えている、八塚いくさん。
八千穂駅は小海線の前身である佐久鉄道の時代から、北八ヶ岳や八千穂高原への玄関口として、多くの人を迎えてきた駅だ。
鉄道会社の社員ではなく、地域の方が窓口に立つ現在の形は、先代から受け継がれ、八塚さんは平成5年から役目を引き継いだ。
そう、ここは無人駅ではない。駅で出迎えてくれる人がいる。
奥行きのある駅舎には、乗務員の休憩室として使われていた和室があり、かつてはお風呂場まで備えられていたという。天井が高く、冬は暖気が上に逃げてしまうため、足元はとても冷える。そんな駅舎に、八塚さんは手のかかる子を愛でるようなまなざしを向ける。
次の列車まで、まだ1時間以上ある。心地よい風が吹き抜ける静かな待合所で、ゆっくりとお話を伺った。
紙の切符を手作業で作っていた

八塚さんのお仕事は、切符の販売をはじめ、売上管理や駅前の清掃など多岐にわたる。
一見すると、ただ切符を売る仕事と思われがちだが、その業務には専門的な知識と経験が欠かせない。
当時は発券機もなく、紙の切符を一枚一枚手作業で発行していた。乗客の目的地に応じて経路を調べ、全国の路線や時刻表を把握していなければ対応できない仕事だ。
引き継いだ当初は、わからないことも多く、間違えて乗客から厳しい言葉を受けることもあったという。
それでも経験値をあげてきた今では、経験の浅い社員から相談を受けることもあり、多方面から頼りにされる存在だ。
さまざまな人間模様を目の当たりにして

長く務めていると、乗客の風貌をパッと見て、どこへ向かう人なのかなんとなくわかるようになるという。さらりと言うが、30年以上の積み重ねがあってこその感覚、とんでもない能力だ。
その話を聞いた直後に「乗客の目をあまり見ないようにしている」という言葉が続いたのは少し意外だった。
たとえば大雨による運休の際など、やむを得ない事情があったとしても、乗客に厳しい言葉を向けられることがある。駅に立つ人は、時に行き場のない感情の受け止め役も担わなければならない。
駅は、異なる背景を持つ人々が雑多に混ざり合う場所だ。
うれしい出会いもあれば、苦しい場面に立ち会うこともある。そんな日々を重ねてきた八塚さんだからこそ、人とのほどよい距離感、そして人を見極める力が自然と身についてきたのかもしれない。
駅は「生活の一部」

無人駅の増加や機械化が進む中、扱いに慣れない人たちにとって、窓口に人がいる安心感は大きい。
「ここで切符が買えなくなったら困る」という高齢の利用者の声も少なくない。
「自分のためじゃないんだよね。人のために動いちゃう」
介護や子育てに追われる日々も、毎朝駅を開け、人を迎え続けてきた。誰かの役にたつことが、八塚さん自身の日々の活力になっているという。
「何もしなければどんどんダメになるかもしれない」
列車が走らなくなったレールは、すぐに錆びていく。
だからこそ八塚さんは、毎日同じ駅にいながらも、人と出会い、新しさを受け入れ続けてきた。
初めて声をかけたときも、取材に協力していただく立場にも関わらず、帰り際に「ありがとうね」と言ってくださった。その自然な一言に、長年この駅で人と向き合ってきた姿勢が現れているように感じた。
八塚さんにとって、駅は「生活の一部」だと言う。
暮らしの延長に駅があり、人生の多くをこの場所で過ごしてきた。
その生き様が、八千穂駅を訪れる人たちにどこかほっとする空気をつくっているのかもしれない。

※簡易委託とは、鉄道会社側での管理が難しくなってきた地方の小さな駅の管理を、地方自治体側が担う仕組みのこと。駅の完全なる無人化を食い止める関所的な立場として、不正防止や地域の見守り、環境整備の役割も同時に担っている。
駅を”育てる”人 ー 防犯女性部の皆さま ー
月に一度、早朝の八千穂駅前。ロータリーには、草刈り鎌を手にした地域の女性たちが集まり、駅前の環境整備が始まる。
彼女たちは、防犯女性部。今回、その活動にお邪魔させていただき、お話を伺った。

もともとは、小海線に世界初のハイブリッド車両が導入されたことをきっかけに、八千穂駅がある天神町のボランティアグループが駅前の美化活動を始めたのが前身。メンバーの高齢化に伴い、現在は防犯女性部がその思いを引き継ぐ形となる。
他にも、天神町の小中学生が夏休みの奉仕活動として関わることもあり、この清掃活動はさまざまな方の協力を得て、実は30年以上も続いているそうだ。
防犯女性部の活動範囲は八千穂駅前だけに留まらず、地域のごみ拾いやパトロール、子どもや高齢者への詐欺防止の啓発活動など、幅広い。行政に任せっきりではなく、自分たちで計画し、自分たちのできる範囲で動く。その姿勢が長年の活動を支えてきた。
帰り際に「それじゃ明日は何時にどこどこね!」と声を掛け合う姿もあり、連日忙しそうだ。
「タバコ吸うより飴なめな」

代表の畑さなえさんは、「汚れた街には犯罪が起きやすい」と話す。
以前は夜になると、若者たちが駅を溜まり場にすることもよくあった。そんな彼らに、頭ごなしに叱るのではなく、「タバコ吸うより飴なめな」と冗談を交えながら声をかけ、見守ってきたという。
きれいな環境を保ち、人とのつながりを持つことが、防犯にもつながるという考え方だ。
メンバーの中には、小海線で通学していた頃の思い出を語ってくださる方もいた。
「一本(列車を)逃すと一時間以上待つこともあって、必死に駅まで走った。間に合わなかった時は、友達としゃべりながら何時間も歩いたり、新聞紙に包んであったおにぎりを食べながら帰った」
当時は親の送り迎えが一般的ではなく、駅は多くの人が時間を過ごす場所だった。
だからこそ、そこを見守る大人の存在にも意味があったのだろう。
現在は車での送り迎えが増え、ドアtoドアで帰路につける。子どもたちは駅に残る必要がなくなった。それでも駅は、通学する学生や観光客、地域を訪れる人たちを迎える「玄関口」であることに変わりはない。
「駅がきれいだと気持ちいい」

活動を続けるメンバーの多くは70代となり、世代交代は課題だという。
それでも「出られる時だけでいいよ」と声をかけ合いながら、無理なく続けている。しばらくメンバーの入れ替えもなく、辞める人は少ないそうだ。
作業中は黙々と草を刈りながら、ときおり笑い声が聞こえる。その穏やかな空気の中で、私も取材ということを忘れそうになるほど、自然と輪の中に溶け込ませていただいた。
「駅がきれいだと気持ちいい」
取材中、何度も耳にした言葉だ。
通りすがりの人に「ご苦労さま。ありがとう」と言ってもらえることもあり、彼女たちの励みになっている。
防犯のため、義務だからというより、自分たちの身の回りを整えたい。その積み重ねが結果として駅を守り、地域を守っているように感じた。
手作りの泥除けや可愛い柄物の手ぬぐい、使い込まれたエプロン。皆さんそれぞれが、自分らしい手仕事の装いを楽しんでいるようにも見えた。

帰り際、ふと自転車置き場の方へ目をやると、大きな木の板が目に入った。
「いってらっしゃい」
「おかえりなさい」
そう刻まれていた。
「みんなが安心して利用できるホットステーションにしたい。」
取材中に聞いた言葉を思い出した。誰かを迎え、送り出す気持ちは、こうした小さなところにも息づいていた。

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日本各地で、ローカル線の宝とも言える秘境駅が、次々に「無人化」している。
けれど八千穂駅には、駅を開ける人がいて、草を刈る人がいる。
駅はただ電車を待つ場所ではない。
人の想いが重なることで、人と人とをつなぐ小さな玄関口になる。
「いってらっしゃい」
「おかえりなさい」
そんな言葉が、今日も自然に似合う駅であり続けてほしい。