自社栽培の「酒米」で土地を表現した酒づくり ー土地を呑む。ー
青々とした風が吹き抜ける、田植えの季節。
夕方に車を走らせていると、田んぼの脇に、鮮やかなのぼり旗が立っていることに気づく。
「井筒長」
そこには、黒澤酒造のお酒の銘柄が書かれていた。
そして、その晩。
酒好きの夫が仕入れてきた一升瓶には、「佐久穂町産100%」というラベルが記されているではないか。
もしや、今日見たあの田んぼのお米が、この液体の源なのか……?
私は今、まさに「土地を呑んでいる」……!
食卓に置かれたお酒が、急に近くなった。
実は、黒澤酒造が作っているものは、米だけにとどまらない。
蔵人自らが土を触り、育てあげた野菜を、日本酒の副産物である酒粕に漬ける。
厳しい冬の気候を生かし、酒を極寒の湖に沈め、熟成させる。
高原に聳え立つ白樺からフレッシュな樹液を採取し、オリジナルのジンまで作ってしまう。
まさに、風土をとことん生かした酒造り。
そこには、どのような哲学、物語があるのか。
無性に気になってきた私は、黒澤酒造の酒造りを追いかけることにした。
今回は連載の第一話目として、自社で栽培している「酒米」について探っていきたい。

自分たちの手で育てた米で、酒を仕込む

八ヶ岳山麓、千曲川上流から流れる清らかな水と、澄んだ風土のもと。
この町で日本酒を醸し続けているのが、1858年(安政5年)創業の歴史を持つ「黒澤酒造」だ。
黒澤酒造の蔵から少し歩くと、いくつかのぼり旗の立った田んぼが見えてくる。


「一昨年までは、本当に蔵から直線距離で500mぐらいの田んぼでできたお米だったんです。まさに、土地そのものを表現したお酒を作っているという実感があります」
そう話すのは、黒澤酒造6代目代表取締役社長の黒澤孝夫さん。

黒澤酒造が手がける酒瓶の裏を覗くと、少し珍しい「自社栽培米」という文字が並んでいる。
自分たちの手で育てたお米で、お酒を仕込んでいるのだ。
実は、お酒を作るための米は、他の産地や農協、酒造組合などから仕入れるルートが一般的。
ましてや、佐久地域はもともと酒米の産地ではなく、どちらかといえば食べるためのお米をつくる農家さんが多い地域。
バブル崩壊後あたりから、全国的に「地産地消」が見直され始めていたものの、酒蔵が自ら土を耕すのは決して当たり前のことではなかった。

そんな中、黒澤酒造が米作りを始めたきっかけは、地域の方の一言からだった。
「米づくりから酒づくりまでを体験できるプログラムを、一緒にやらないか」
そこから、当時、旧八千穂村で名乗りを上げてくれた農家さんの田んぼで、まずは小さい範囲で少しずつ、地域の方と手植えから始めた。
昨年は黒澤酒造で仕込むお酒の約1割、今期の醸造では約2割に、この自社栽培米が使われている。
さらに興味深いのが、昔ながらの伝統製法「生酛(きもと)造り」が全体の約6割を占めているなど、手間を惜しまない酒造りを貫いている蔵だ。

人から人へ。繋がりから広がっていく田んぼ

本格的に酒米の自社栽培を始めたのは、2005年のこと。
最初は、親戚や知人から引き継いだ田んぼから始まり、地域の農家さんに協力してもらいながら手探りで米づくりを進めていった。
その後、高齢などを理由に「田んぼを使ってほしい」と声がかかるようになり、管理する田んぼは自然と増えていったという。
「地域のおじいちゃんたちが辛抱強く耕作されていたのですが、だんだんと事業縮小を希望する方から近くの土地を継承することが増えていきました」


また、自社栽培米以外の酒米も、できる限り信頼できる契約農家から買い取っている。
「以前は酒造組合や農協が取りまとめて買うルートが基本でしたが、どうしても仕入れが安定しない時期もありました。だからこそ2010年頃からは、責任を持って顔の見える生産者に作ってもらう方針へ変えていったんです」
自分たちで手の届かないところは、地域の生産者を頼っていく。
単に原料として買い取るのではなく、互いに意思を伝え合える関係性を軸にする姿勢。
黒澤酒造が、今日まで地域で愛され続けてきた理由はここにあるのだと、深く腑に落ちた。

田んぼが広がっていくごとに、人の輪が広がっていく。
人と人とのつながりを通して、彼らはこの町の風景を守り続けてきたのだ。
かつて米づくりの第一歩となった体験プログラムは、「美醸会」というコミュニティとして今も続いている。25年以上にわたり、蔵の一番そばで支え続けてきてくれた大切な存在だ。


「0から10まで」内製化への挑戦

「一昨年の米騒動が起こるまでは、契約農家さんたちを支えている自負がありました。適正な価格で購入してお酒にし、国内外に売ることで、長野県の農業を持続可能にしている意識があったんです。ただ、ここ1〜2年は周りの高齢化もさらに進み、状況が変わってきました。5年先を考えると、自分たちで育てる内製化を加速していかなければいけないと思っています」
その言葉通り、今年からは酒米の「苗づくり」までも自分たちの手でスタートさせた。
管理する田んぼの面積が増えれば、苗の購入費や刈り取りの委託費などのコストが何百万円単位で膨らんでしまう
それらを自分たちで手がけることでコストを抑え、持続可能な事業にする狙いもあると、孝夫さんは話す。

さらに黒澤酒造は、自前の大きな精米所まで所有している。
苗を育てる「0」から、米を磨き、酒を醸す「10」まで。
まさにすべての工程を一貫して、自分たちの手で完結できる環境が整っているのだ。
「苦労して育ててきたものには、やはり愛着も違いますよね」
そう語る孝夫さんに、改めてこの蔵にしかない強みを聞いてみた。
「長野県に約80社ある酒蔵の中で、個性的なことをやらないと生き残れません。幸いここにはこの地域にしかない自然環境がある。その空気や景色が思い浮かぶようなお酒をつくりたいと思っています」

佐久地域は川によってできた土地ゆえに砂礫が多く、水持ちが悪い。中山間地のため田んぼ1枚1枚が小さく、作業効率という面ではハンデもある。
それでも、与えられた土地の個性を引き出し、無駄なく活かし切る。
その泥臭くもまっすぐな姿勢に、黒澤酒造の酒造りの真髄を見た気がした。
「地酒」の概念が、次の世代へ届くには

土地の風土をそのまま醸す、「地酒」という概念。
本来の酒づくりからすれば、それは原点回帰の姿なのかもしれない。
けれど、お酒にあまり馴染みのない若い世代にとっては、むしろ新しい文化としてクールに感じられるはずだ。
そんな期待を込めて、私はこの酒造りの物語を届けていきたい——そう再認識する取材となった。
最後に、日本酒にあまり飲み慣れていない人へのおすすめの一本があるか、孝夫さんに尋ねてみた。
「うちのお酒は味わいが強めなので、低アルコール(12度くらい)で甘酸っぱいタイプなど、まずはそのあたりから入ってみるのも手だと思います」
筆者自身、旨みがしっかり詰まった黒澤酒造の力強いお酒が大好きだ。
もちろん飲みやすい一杯から入るのもいいが、あえてその骨太な味わいに触れてみることも強く薦めたい。
一口含んだとき、目の前にこの町の景色がふわっと浮かび上がってくる。
そんな「土地をまるごと呑む」ような嗜み方を、ぜひ体験してみてほしい。
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佐久穂の町は、すでに木々の葉が色づきはじめ、ひんやりとした秋の空気が流れ込んでいる。
これから季節折々の恵みを受け取った黒澤酒造のお酒たちが、どんな変化を見せてくれるのか。
その一杯を味わえる瞬間が、楽しみで仕方がない。