松原湖駅ノートに潜む生身のローカルナレッジ

ずっと気になっていた。
ローカル線の駅待合所に、ぽつんと佇むノート。
砂ぼこりを被った、ぱさぱさな謎多きノート。
中には一体何が書いてあるのだろう。さらっと読んでみたことはあるけれど、まるごと一冊をじっくり読み込んだことは、まだない。

今回拝読したのは、JR小海線の松原湖駅に設置された駅ノート。年季の入ったファイルの中には、2017年から始まったノートが合計7冊(執筆時点)収まっていた。
こんな機会がないと全てに目を通すことはできないと思い、意を決して覗かせていただいた。

全てを読み切った先に見えてきたのは、駅を訪れた人々の生き様の断片。
静かに時を待ちながら、多くを物語る小さなノートは、まさにローカルナレッジの宝庫だ。
読む人、書く人に愛されてきた価値ある媒体が、今後も続いていくことを応援する気持ちで、筆を執る。
そして、この記事を読んだあなたが、どこかで何かしらのノートを見つけたときに、1ページ、もう1ページ、せっかくだからもう少し、、、とめくる手を進めたくなるような記事となったらうれしい限りだ。
駅ノートとは?

そもそも駅ノートとは、主にローカル線の無人駅などの待合所に設置された、旅人が自由にメッセージやイラストを描くコミュニケーションノートのことだ。
ノート形式は様々だが、基本的にはA4サイズの大学ノートや学習帳など、身近にあるものをそのまま活用する場合が多い。松原湖の駅ノートは、初版がジャポニカ学習帳だったのもなんだか微笑ましかった。

いつ書いても良い。書かなくても良い。無法地帯で強制力がない、自由な表現の場として駅ノートはただそこに佇む。
そんな駅ノートを読んでみると、思わぬ出会いや発見があったりする。
一体どのような効用があるのか?私なりに駅ノートのおすすめポイントを少しご紹介したい。
生身のローカル情報源

たとえば、近くの名所とされる山までの所要時間や穴場ルート、途中で寄れるおすすめスポットなどの情報を残してくれている。
旅の実体験がまだ温かいうちに書き残しているからか、熱量高めなものや、偏った意見も往々にして存在する。
ここに正確性はいらないと、私は思う。手書きの文字からは、書く人の視線が生々しく伝わってきて、不思議とネット情報よりもすんなりと情報が入ってきやすい。他人の旅の軌跡を聞くことで、新たな扉を開けてもらった気分になれる。
次の旅人へギブした気持ちになれる

いざノートに何か書こうとすると、何を書こう?そもそも誰に向けて書くんだ?と、一瞬わからなくなる。
なんとなく誰かのためになることを書こうかな、と思いつく。遠く離れた友人、名も知らない誰かへの贈り物を届けるかのような心持ちになってくる。
貴重な硬券(昔の鉄道で使われた厚手の硬い乗車券のこと)をノートに貼っている人がいたのにはちょっと驚いた。愛蔵品をこんな無防備に貼ってしまっていいんですか?と心配したくなるが、ここに貼ることで誰かに何かが届くと信じたい気持ちもあるのかもしれない。
私は松原湖駅のノートを読んだ時、なんて平和な世界が広がっているんだろうと感じた。もちろんノートによって空気感は様々だが、ここには小さな社会の営みがあり、相手を思いやったり、慰め合ったりするシーンも垣間見える。
せっかくだから何か良いこと書いていこうかなと、優しさの循環の中に足を踏み入れることは、存外悪くないものだ。
貴重な直筆コンテンツ
ノートのそばには大抵の場合、管理者や誰かが筆記用具を置いてくれている。つまり、みんな同じえんぴつを使っているはずなのに、ぱっと見ただけでも全く表情の異なる文字やイラストに溢れている。
文字の大きさ、スペースの取り方、筆圧などからその人の個性が滲み出てしまっているのが実におもしろい。「(書いている途中で)電車が来たのでまたぁぁっ!」という躍動感ある楽しげな走り書きには、つい笑ってしまった。
直筆にしか出せない良さがあり、直筆が駅ノートを駅ノートたらしめていると言っても過言ではない。
今や、文章もAIに作成してもらう時代。身体性を伴ったコミュニケーションというのは重宝される立派なカルチャーだ。なくなってほしくない。
ネット掲示板では成し得ない、生々しいコンテンツ。隠しきれない味わいが、また不思議と次の旅人の筆を進めてしまうのだろう。
他の駅が気になってくる
唯一無二の独創的なノートが全国に、いや、もしかしたら世界中に存在しているだろう。ここにもあった!と旅先で見つけたときには、独自のカルチャーを生み出すノートの存在についアガってしまうはずだ。ノートをきっかけに旅の楽しみ方はじんわり広がっていく。
どんな人が何を書いている?

さて、いよいよ松原湖駅の駅ノートの中身について触れていきたい。一体どんな内容が書かれていたのか。
まず書き手の層としては、恐らく地域の鉄道利用者よりも圧倒的に旅人が多く、幅広い世代が行き交っているようだ。
書かれている内容は、旅の記録から具体的な地域情報、自叙伝的なもの、人生相談、恋愛相談にまで広がっていた。

旅の目的もさまざまで、登山、青春18きっぷ、アニメ、合宿、再来旅、ウィンタースポーツ、短期労働者など。八ヶ岳を抱え、観光資源にも富む松原湖ならではのバリエーションの豊かさだ。
勝手に抜粋!胸熱エピソード

読みながら、印象に残った箇所を即席付箋でマークをつけていったが、付箋が足りなくなるくらいに胸熱エピソードはたくさんあった。いくつかご紹介したい。
明日告白します!

「明日好きな子に告白します」宣言が1冊目の序盤ページに書かれていた。この場ですべきことなのか、なんてそんな野暮なことは言わない。本人はここに書くことで覚悟を決めたのかもしれない。勝手な妄想が色々と膨らむナイスな意思表明だった。
それに対し、ノート管理人(※)が「がんばってください、続報求む!」と励ましのコメントを残しているところもまた熱い。
さらに……なんとその約1週間後に「告白成功しました!」の報告リプライが!今度は彼女とここに来たいなぁという呟きも書かれていてキュン。
こうした個人的な意思表明のようなコメントはいくつかあった。誰かに話したいという気持ちは誰しもあると思う。それをSNSで投稿しすぐにイイネをもらうのではなく、反応が来る確率が低いが届く人には届く、というような場で吐き出す粋な行動。見知らぬ相手とのコミュニケーションの距離感が絶妙で良き。
※松原湖の駅ノートは小海町が管理しています。
ま、つ、ば、ら、こ、作文

ま まさかこんなに
つ 釣れないワカサギ
ば 場所を変えても釣れない
ら 来年また
こ 来れたらたくさん釣るぞ!
冬は全面凍結する松原湖でのワカサギ釣りは、小海町の人気観光素材。え、こんな釣れないもんなの?という書き手の驚きと悔しさ、リベンジへの前向きな心をまとまりよく示してくれた。(噂によると、慣れない人は本当に釣れないらしい)
誤解を恐れずに言えば、暇だからこそ書けたのだろう。というのも、ノートにはたくさんの「暇」という文字があった。
忙しなく乗り継ぐターミナル駅とは違い、心にゆとりを持って過ごすことができる懐の深い駅だからこそ、人はふと他愛もないことを呟きたくなったり、人生を憂いたりするのだろう。
我が心中の雨はいつ止むのであろうか

駅で列車を待ちながら、降り続く雨をぼんやり眺めながら書き留めたのであろう。止まぬ雨に我が身の心境を照らしたポエティックコメント。松原湖駅の情景がそうさせるのだろうか。
書き手の、侘しさの中にも自己や世界をあるがままに受け入れる落ち着きも感じられ、なぜここに来たのか、どういう人生を歩んできたのか、名も顔も知らぬ旅人のことがつい気になってしまった。
妖精プティリッツァいる?いない?説

松原湖駅が位置する小海町には、昔から森の妖精プティリッツァが棲んでいると言われている。
町のシンボルキャラクターとして、町内各所でイラストや置き物には出会えるのだが、「本物のプティリッツァに会えました!」というコメントや、「本当にいるんですか?」という疑問など、神出鬼没な目撃情報が錯綜し、ロマンを掻き立ててくる。
プティリッツァは、豊かな自然環境と、生命を大切にする心のある土地にしか棲めないと言われている。この町の自然と共に過ごし、純粋な感覚を取り戻すことができた人にしか出会えない存在なのかもしれない。私もいつか会ってみたいものだ。
松原湖食堂と題して、お弁当を広げながら

八ヶ岳を愛すること40年以上の78歳と74歳のご夫婦。心惹かれる無人駅にてお弁当を広げていますというコメント。なんて素敵なんだ。
小海線に乗ることは減ってしまったが、こうして駅に来て過ごす時間はうれしいもので、あと10年ここに座れたら・・・と。
鉄道駅とは、本来列車に乗るために在るものだったはずだが、乗客は減り無人駅となり、それでも長く腰を下ろしたいと思わせる存在。松原湖駅は来る人それぞれにとって居心地の良い場所となりうる、懐深い存在なのだ。
人生の先輩から若者へのアンサーソング

ノート全体を読み通して感じたことではあるが、異なる悩みを抱えた人たちが、まるでメッセージを投げ合っているような様子も感じ取れた。直接、特定の誰かに伝えているわけではなさそうだが、人生に悩んだ若者へ、人生を振り返る時期にあたる先輩がエッセイ的なものでアンサーソングを綴る、といったシーンもちらほら見受けられた。
改めて若者がこのノートを見返したらどう思うだろうか。再訪があるだろうか、はたまたノートが何十年先もここにあるかは未知だが、どこかで繋がっていくことを勝手ながら願うばかりだ。
人はどこでだれの言葉に影響されるか、わからないものだから。
ノートの存在意義とは

駅ノートを読む前は、失礼ながら治安のよろしくないイメージも少しあった。無法地帯で荒れてしまうノートもきっとあるはずだが、松原湖駅の駅ノートは非常に平和だった。
今回、黙々とノートを読んでいたら、気づけば数時間経っていた。松原湖駅周辺を包み込む豊かな自然は、人に対して実に寛容的で、駅待ち人の心を浄化してくれる。人が人に優しくあれる土壌を、この地が作ってくれているように感じた。
地域とは、昔からいる「地」の人と、外から訪れる「風」の人で醸成されていくものだ。時代や世代を超えて交流する人々に思いを馳せるうちに、段々とこの町の輪郭が見えてくるように感じた。

ノートを閉じ一歩外へ出ると、ここへ来たときよりも景色が彩り豊かに、色の数が増えたように感じた。ふと、手のひらにざらりとした感触が残っていることに気づく。地層のように長年蓄積されてきた人々の旅情に触れたあとで、その名残が手に染み付いたようだった。
泰然自若とした姿で駅に潜むノートは、繰り返される刹那的な交錯をそっと見守り、人々に生きる活力を与えているのだろう。駅ノートに潜む物語は、きっとこれからも続いていく。
もしこの記事を読んだ後、松原湖駅へお越しの際は、ぜひ駅ノートに一言残してもらえたらとてもうれしい。そんな偶然の出会いを私も楽しみにしている。
※すでにある駅ノートは、JRに許可を得て小海町で設置され、現在小海町で管理をしているものです。今ある駅ノートたちがこれからも続いていけるように、マナーや独自の文化が守られていくように心から願っています。
