理想を求めて紆余曲折した私が、小海町で心地よい暮らしを手にするまで(移住前)
朝目覚めると鳥の声が聞こえて、玄関のドアを開けると浅間山が見える。散歩で通る道には小さな滝があって、青い空に八ヶ岳が浮かんでいる。出勤前に山に登ることだって可能だ。これは私が小海町に移住して叶えた暮らしだ。
ここで皆さんに1つ質問したい。みなさんは移住に対してどんなイメージをお持ちだろうか。庭付きの一軒家?畑で野菜づくり?古民家を改装してカフェ経営?華々しい実績をメディアに取り上げられている移住者をイメージした人もいるかもしれない。
私はそんな華やかな移住者ではない。もっと地味でカッコ悪いのだ。一軒家に住む代わりに2DKの町営住宅に住んでいるし、畑で野菜を育てる代わりにアパートのベランダにプランターを置いてミニトマトと食用ほおずきを育てている。小海町に来るきっかけとなった地域おこし協力隊は、1年半ほどでやめてしまった。やめて自由に過ごしていたら口座の残高がとんでもない額になってどうやって生きていこうかと頭を悩ませたことすらある。(安心してほしい。今は贅沢はできないながらも、好きな仕事を見つけて銀行残高を心配する日々からは脱出している。)
それでも私は小海町が好きで2年半以上ここに住み続けている。たった2年半と思われるかもしれないが、私にとっては長い方だ。というのも私は小海町に来る前、1年経つと新たな土地に住みたくなる人間だった。そんな私が自分の暮らしに満足して一か所に留まれるようになったのは、キラキラしたイメージを追い求めるのをやめて自分にとって心地良い暮らしを意識するようになったからだ。

人が生活を変えるとき「こんな環境でこんな家に住んでこんな人間関係を築いて、こんな仕事をして」と理想ばかりが頭に浮かぶかもしれない。でもその理想だけで突き進むと「なんか違う」という壁にぶち当たる。私はそれを身をもって知った。
そんな私のデコボコした人生をシェアしながら、自分にとって心地よい移住とは何なのかを考えてみたい。とても1記事では書ききれないので、複数回に分けて。まずは小海町に来るまでに、どんな葛藤があったのかを伝えたい。
新社会人 理想の生活スタイルを手に入れたけれども
小海町に来る前、私はいろんな暮らしをしてきた。大学を卒業して最初に入った出版社では平日は宿、週末は寮生活だった。大学時代から旅が好きで「なんとか働きながらたくさんの地域に行ける暮らしができないか。そして旅先は都心ではなく地方がいい」と思った私は、いろんな農村に足を運ぶことができるその出版社を選んだ。その出版社に就職したことでさまざまな地域できれいな景色を見て、たくさんの魅力的な人に出会えた。
しかし平日ずっと宿で生活するというのは、なかなか大変だった。古い旅館の隣の部屋からはおじさんのいびきが聞こえてくるし、自炊ができないので栄養バランスも偏る。理想を叶えたからといって、必ずしも満足のいく暮らしを得られるわけでないと知った瞬間だった。

進学や就職を目の前にして、わたしたちはしばしば「ここに入れさえすれば幸せになれる」と思ってしまう。でも実際は私たちは一部を見ていいと思っているだけなのだ。たとえば「この学校は偏差値が高い、この会社は給料が高いから行きたい」というように。でもメリットと同じようにデメリットもきっとある。だから最初にメリットと同じくらいデメリットがあることも想像しながら選択をする。またはデメリットがあっても「そういうもんか」と流せるくらいの余裕が必要なのだ。小海に住んでいる今の私にも、生活や仕事の中で「こうだったらいいのに」と思うことはある。でも今は不満は脇に置いて「まあいいか」と思える。
異動で東京へ。便利だけれど、息苦しい日々
その後、東京の本部に異動になって多くの人と同じように満員電車に乗って通勤する生活になった。東京での生活はそれなりに楽しかったが、部屋はたった1つ、キッチンも廊下と一体化しているような家に5万円以上の家賃を払わなければならないことに納得がいかなかった。大きなショッピングモールまで徒歩数分なのは便利でよかったが、人が多すぎて行くたびにイライラした。そうしているうちに新型コロナウイルスが流行し始め、日に日に人の多い場所で暮らす息苦しさが募っていった。「ここを離れたい、いやまだだ」を繰り返して、ようやく決心したのは入社から3年半ほど経ったときだった。

転職して高知へ。ここまでディープな場所は求めていなかった
転職したのは高知県のまちづくり会社。その会社が山奥にある廃校をリノベーションしていろんな人が泊まれるようにしていたので、私はそこに住んだ。コンビニやドラックストアまで車で40分の場所だった。スーパーはもう少し近くにあるが、長い坂を車で下りなければならない。歩いて行けるのは近所のお豆腐屋さんくらいだ。

東京から離れたい一心で高知県の山奥まで来てしまったが、ここまでディープな場所は求めていなかったことに気づいた。住む場所を決めるときはぜひ「どのくらいの規模の場所でどんな暮らしをしたいのか」を具体的に思い描いてほしい。「地方に行きたい」では自分に合った場所は見つからない。
2回目の東京。極端な選択しかできなかった私
1年後、私は高知県を去った。もともと1年だけ働くつもりだったので予定通りではあったものの、何を思ったかまた東京に住み始めてしまった。「都会か山奥か」極端な選択しかできなかった当時の私に「ちょうどいい場所」を選ぶということを教えてあげたい。
2回目の東京生活では、5畳の中に机と冷蔵庫とベットが詰め込まれた自室とわずかな共有スペースがある激狭シェアハウスに住んでいた。私がその家を選んだのは山へのアクセスがよかったことと場所の割に家賃が安かったからだ。一人暮らしではなくシェアハウスを選んだのは、性格上また引っ越したくなるだろうと踏んでいて家具を増やしたくなかったから。
歩いて行けるのはお豆腐屋さんだけだった以前の暮らしとは違い、徒歩でいろんなカフェに行けるようになった。山へのアクセスもよくなり、生活は都市部で、余暇は自然を求めて遠くへ行く暮らしになった。

これはこれでまあいいかと思える部分もあったのだが、部屋があまりにも狭かったし、共用のシャワーがあるだけの家では冷えた身体は温まらない。もっと広々とした場所でのびのびと暮らしたかった。気軽に山に行けるように、長野県か山梨県に住みたいという気持ちもあった。
そう思っているときに転機が訪れた。私が小海町に住み始めるきっかけとなった地域おこし協力隊の求人記事を目にしたのだ。ここからようやく私にとって「心地いい暮らし」が始まる。
これまでの流れだと、小海町に住み始めてもまた「なんか違う」となるはずだ。しかし、小海町での暮らしはしっくりきた。
それは目に飛び込んでくるキラキラしたものを追い求めることをやめ、今の自分が必要としているものを自分に与えられるようになったからだ。「サイコ〜」とハイテンションな状態というよりは「ちょうどいい、心地いい」という落ち着いた感覚だ。
この感覚については次の記事で詳しく説明したい。次回はなぜ私が小海町に移住し、小海町でどんな暮らしをしているのかをシェアする。