わたしの偏愛「坂」 ーさくほ編ー

2026.07.15りかどの

わたしの偏愛「坂」 ーさくほ編ー

坂を見つけると、心が動く。

坂があるということは、山がある。
坂があるということは、川がある。
坂の上には、良い風が吹く。

息がしやすく、生きやすい場所には、必ず坂がある。
ある時そんなことに気付いた。

これまでいくつかの土地で転居を繰り返してきたが、新しい住居探しの基準は、もっぱら坂。

物件検索サイトとガチな等高線地図を照らし合わせ、標高や地形などを鑑みて、できるだけ坂の恩恵を受ける立地をめがけてきた。

そんな坂への偏愛を胸に、私が住む佐久穂町にある愛嬌たっぷりな坂たちを主役にしたい。

森に包まれた「マルト坂」

町内では知っている人も多い「マルト坂」。
この地域に馴染み深い、黒澤一族の屋号マルトから取ったと言われ、JR八千穂駅の東側斜面に位置する、九十九折り(つづらおり)(※)の坂道。

※何回もくねくねと折れ曲がった坂道のこと 

カタカタッコトン カタコトッタタン

坂を登りながら、遠くから徐々に近づく重たい鉄の塊の音を聞く。眼福ならぬ耳福。

ふんわりと涼しい風が吹いた。見上げると、木々の合間から一筋の光が差し込み、かすかに水の音がした。

 ここは、森に包まれた坂なのだと、腑に落ちる。

歩いていると、歩行者用のショートカット坂を発見。車で何度も通っていたのに気づかなかった。
日陰と日向が交互にやってきて、心地よいインターバルを刻む。 

勾配がきつくなる箇所に差し掛かると、足元に変化があった。雨上がりで苔に足を滑らしそうになったが、舗装の配慮がありがたい。

途中までしか行けない、苔むした階段を発見。鬱蒼とした草に行く手を阻まれているが、この先どこまで繋がっていたのかが気になる。脇には朽ちて折れてしまった巨木が佇んでいた。

坂を作る過程に想いを馳せた。最初から立派な車道が出来たわけではなく、まずは人が通れる幅に森を伐採し、徐々に地盤や手すりなどの細やかな整備を重ねていく。

文明が発達し、使われなくなった道たちは、身近な場所で鳴りを潜めている。
坂は、人々の暮らしを豊かにしようという思いや、置いていかれた者たちの寂しさ、両方を背負っている。 

鉄道を避けてたわんだ坂

続いて、私のベストオブお気に入り坂、JR海瀬駅へ向かう際に通る高架下の坂。鉄道を遠慮がちに避け、まるで弧を描くようにたわんでいる。

実はこの坂を潜ることで、3つの橋を制覇できる。橋と坂との絡み合いも見所のひとつ。 

時刻表を開いてみると、ちょうど来そう!出待ちして、キハ110形の走行を見送る。
ゴオォォという重々しい轟音や風圧を感じられる、迫力あるロケーションだ。

お蚕神が祀られる坂

一見なんでもない坂のようだが、上には何かありそう。奥の景色はどう広がっているのか、想像に胸を膨らませながら、坂へ吸い込まれていく。

頂上には、小さな祠が佇んでいた。マップで検索してみると「蚕神さん」とある。
養蚕は、昔から収入源として大変ありがたい産業だ。お蚕さん、お蚕様、と地域によって呼び名は様々だが、必ず敬称が付けられている気がする。 

二択を迫る坂

こういう二択は私を喜ばせつつも悩ませてくる。階段も捨てがたいが、誰かに決められた段差を刻むよりも、自分の歩幅に合わせられる坂を選ぶ。まち歩き、時にゲーム感覚だ。

カンゾウばかりの坂

心臓破りの坂、ならぬ、カンゾウ(山菜)ばかりの坂。

行きと違う道で帰りたくなる性分。神社からの帰り道、ちょっと抜け道で裏ルートを進んでみると、両脇に群生するカンゾウが出迎えてくれた。

あまり人が通らなそうな道だけど、ちゃんと真ん中は開けてくれていて、なんだか恐縮した。

水の流れる坂

坂にスポットを当てていたつもりが、気付くと暗渠探しも同時に始まりがち。坂は水の流れを生む場所、切っては切れない関係だ。 

坂の途中で出会った無骨なコンクリート。まさかと思って中を覗いてみると、少しずつ水が流れていた。   

これは石舟と言われる、湧水の貯水槽だそうだ。一番上の段は飲用、二番目は食べ物を洗う用、三番目は洗濯用、といったように用途を使い分けていたとのこと。

坂の多い場所は、決して生活しやすい地形とは言い難いが、暮らしの知恵が育まれやすい環境とも言えるかもしれない。

神聖な風が吹く坂

坂には、何か特別な風が吹いていると感じることがある。
小さな祠から立派な寺社仏閣、ご先祖の墓など、坂の上には神聖なるものが鎮座していることがよくある。
先人たちは、坂に魅力や魔力といった類のものを感じてきたのだろうか。

坂の途中で背後を振り返ると、大きな木のトンネル。肌に触れる空気が少し涼しくなったような気が。ここが結界か?

登った先には、やはり神社があった。敷地内には、長い年月をここで過ごしたと思われる古木の切り株がそこかしこに点在していた。
境内には、心地よい風が吹き、光が射していた。この場所に先人が神社を置いたのには、絶対理由がある。スピリチュアルなことはわからないが、肌感でわかる。

崖の上に、大切に残されていた馬頭尊の石碑。
このあたりでは、農耕馬や土引き(馬搬)も身近なものであったと聞いたことがある。

調べてみると、馬頭尊とは仏教菩薩の一つで、馬が人々の悩みや悪を食い尽くすということから、厄避けや供養の意味が込められたものとのこと。

坂巡りにおいて、これだけ苦労して登った先に何もなかったらどうしよう、という邪念は禁物だ。しのごの言わずに黙って進む。真摯に向き合えば、かなりの高確率でご褒美のような景色にありつける。

坂の上で風に当たりながら、遠く先を眺めるひととき。
独り言常習犯な私。ご褒美のview=「ごほうビュー!!」という独自の表現を口に出さずにはいられない。

坂の名脇役たち

坂を支える名脇役たちの存在も忘れてはいけない。
緩やかな坂に律儀に植えられたお花。横の消火栓の赤色と、奥の桜の木々、なんとも可愛らしい並びが坂を彩る。

狭い斜面沿いに、石垣の上に建てられた家々が連なる。
こうした段丘の上に、家や道、水路などを作ることは大変なことだったと想像する。そこで活躍したのが石垣だ。坂の上にさらに坂。見事な業である。

坂の安全を支えるのは、滑り止め用の塩化カルシウム(通称塩カル)。冬に道路凍結する地域ではよく見かける、路面凍結を防止するための融雪剤。一度も中身は見たことがないが、緊急時には一般の人も使って良いそうだ。

ささやかな優しさ。坂を下ろうと生い茂る雑草を描き分けていくと、白い木の足掛けが目に入った。  
階段とまではいかないが、少しでも歩きやすくしようと誰かが作ったのだろう。見つけたとき、一瞬で胸が熱くなる。誰かが誰かを思いやる心が、時を超えて伝わってきた。

まるでジェットコースターと地域の方が言う急坂には、嬉しい休憩ポイントが設置されていた。

椅子の足は、坂に合わせて左右の長さが整えられている。ここに置くために設計された、世界に一つしかない思いやりの椅子だ。

坂で生まれる物語

坂を巡っている途中、とあるおばあちゃんに出会った。
延々と続く草取りにうんざりしていること、草はあっちにポイっとすること、たわいもない立ち話に花が咲く。
突然、おばあちゃんの目尻に涙の粒が浮かび、ぽろっと落ちた。
「近くへ寄ったら、またいつでも遊びにきてね」と言って、坂をゆっくりと登っていった。

坂は、物語の鍵やスパイスとしても度々登場する。
私の中に物語が形成されていく場所、それが坂だ。

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今回巡った坂は、だいたいこの辺(ざっくり)。

気になった方は、ぜひ自分の足で歩いてみて、あなたなりの発見を楽しんでみてはいかがだろうか。

次は小海町でも坂を巡って歩いてみたい。もしくは、小海町と佐久穂町を比較した考察編というのも面白そうだ。

我々の偏愛活動、今後もお楽しみに。